神の純度が高まると
人間的な感情が消えて
「摂理」だけの世界になります。
学校で子どもたちが勉強しているのは
「摂理」ですよね。
数学も理科も自然科学です。
人為的に作られたものは
どこかで辻褄が合わなくなることがありますが
摂理には狂いがなく、
どこを掘り下げても理屈が整合します。
昔の人は
「お天道様が見ているよ」
「バチが当たるよ」
と言いましたが、
それは摂理のことを言っていたのです。
天に唾を吐けば、自分に返ってくる。
人を欺けば、人に欺かれる。
これらは全て自然の道理です。
その道理を寸分の狂いもなく
発動させている仕組みそのものが「神」である、と。
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この話を見事に言い当てているのが
西郷南洲(隆盛)です。
『西郷南洲翁遺訓』の第38条にはこうあります。
世人(せじん)の唱(とな)ふる機会とは
多くは僥倖(ぎょうこう)の仕當(しあ)てたるを言ふ。真の機会とは理を尽くして行ひ
勢(せい)を審(つまびら)かにして動くと云ふに在り。
自分が世の中の情勢とバランスを
しっかり考えながら
誠心誠意、一所懸命に動くことができれば
それは天地の道理にかなうから
チャンスも自ずとやってくる。
だからチャンスとは
偶然に起きるものではなく
天地の道理にかなって起きるものなんだよ。
と。
これはまさに、
(正しい)神が発動する原理を述べています。
すごいことです。