神道は日本の原始宗教といわれますが、教義・教典がありません。
「こうしなさい」「こうしなくてはならない」が存在しないのです。
古事記や稲作が神道の源流という考え方もありますが
これらは新しい方の(知的な)神道であり
現在全国の多くの神社が基盤にしている「神社神道」と呼ばれるものです。
更に古い時代の神道には
山や岩、巨木といった自然を拝む
「古神道(こしんとう)」という位置づけがあります。
時代が下れば下るほど、解釈や理屈が増えていくのですが
時代をさかのぼるほど言葉が減っていき
純粋に自然を畏れ敬う「無口な信仰」になっていきます。
これが神道のポイントで、<神道は本来無口>なのです。
「ああだ」「こうだ」と語る必要がなく
「こうである」と定義されるべきものではないのです。
つまり
人間が百人いれば百通りの解釈があってよいのが神道であって
人それぞれの考え方で「神道とは、なにか」という
テーマに向き合っていけばよいのです。
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更に詰めてみましょう。
神道には「教えが無い」ということは
自分が学べば学ぶほど、無限にその道が開かれるということであり
無限に成長できるということでもあるのです。
「教え」がある場合は
外から与えられた「教え」を超えることは出来ないわけで
「教え」が無いからこそ
自分が無限に境地を見出して「成長」することが出来る素晴らしさ。
これが神道の最も貴いところです。