「ふと、気になったこと」
何の気なしにふと、「あれ、どうなったかな」と頭をかすめることがあります。
「これ、気になるな。しておいた方がいいかな」
・・・と感じた時は、大体しておいた方がよく
「何となく気になるな、確認しておこうかな」
・・・と感じた時も、大体しておいた方がよいです。
神様にこじつけて言えば「神様のお告げ」
スピリチュアルで言えば「守護霊や先祖からのお知らせ」
人間主体でいえば「直感」。
解釈は人それぞれの好みでよいのですが
<ふと、気になったこと>や<ふと、感じたこと>のなかに
意外と大切なことや本質が隠されていたりします。
「審神者のはなし」
「審神者」と書いて「さにわ」と読みます。
その神や霊が、正しいものか、邪なものかを見分けることを「審神者」といいます。
いくら「ふと、気になったこと」が大切だからといっても
『人を傷つけたい』と感じて人を傷つけてはいけないように
その「お告げ」、その「お知らせ」、その「直感」が正しいかどうかを見分けるには
人間の知能を使って正邪を判断しなければなりません。
これが「審神者(=神を審らかにする者)」です。
(※審らか=つまびらか:詳しく調べること)
神霊という存在も、人間と同じように貴いものから邪なものまで様々なため
「霊感があるの!」とか「霊が見えるの!」といったことには何の意味もなく
見える・見えないに関わらず
自分がどういった層の神霊と日ごろ感応しているか、ということの方が
遥かに重要なわけです。
さて。
日ごろの食事、ライフスタイルをきちんとし、また勉強をして教養を培うことであったり
そういった人間としての実生活がより心豊かになるよう
リアルな実生活ときちんと向き合って自分磨きを心掛けていくことが
<ふと、気になること>や<ふと、感じること>の精度も磨いていくという、結論です。