令和2年(2020)8月12日【第5号】

「波動のはなし~その1」

「あの人と波長が合う」
という言い方をすることがあります。

「あの人とは波長が合わないから疲れるのよねえ」

波長が合わないということは、言い換えると「リズム」「振動数」。
その人特有のリズム感に何となく違和感をおぼえるから
「波長が合わない」となるのです。

Aさんが「ガッタンガッタン」
Bさんが「ガタガタガタ」
Cさんが「ガタッガタッガタッ」

リズムが異なれば歯車も噛み合いません。

最近はRadikoなどのスマートフォンアプリに移行してしまって
すっかりラジオ受信機でラジオを聞く機会も減りましたが

例えばNHKラジオ第一は594kHz、TBSラジオは954kHz
文化放送は1134kHz、ニッポン放送は1242kHz。

これらは周波数(振動数)の違いで
ラジオ受信機を954kHzにセットすればスピーカーからTBSラジオが聞こえ
1242kHzにセットすればニッポン放送が聞こえる、という具合です。

受信機を954kHzにセットしていれば
どう頑張っても1242kHzの放送を聞くことは出来ません。

でも、NHKラジオ第一も、文化放送も
みな同じ空間に電波が流れているのです。

AMラジオだけでなく、FMラジオも、TVも、携帯電話も、インターネットのWi-Fiも
膨大な種類の電波がこの空間上に存在しています。

要は自分がどの周波数を感知するかで
スピーカーから発生させる音を選ぶことが出来るのです。

ここまでが「波動」を理解する前準備でした。

「波動」というのは
「波長」でも「周波数」でも「振動数」でも「リズム」でも言葉は何でも良いのですが
この「波動」を理解することで、神道への理解に一気に近づきます。

「波動のはなし~その2」

古事記には「高天原(たかまのはら)」「黄泉国(よみのくに)」
という言葉が出てきますが

高天原が天国だとすれば、黄泉国はいわば地獄です。
大祓詞に登場する「根の国底の国」とは「黄泉国」のことです。

天国と地獄はどこにあるのか。

もちろん、ロケットを飛ばして宇宙に上っても天国は見えて来ず
地中を深く掘っても地獄は出てきません。

<天国の波動をもった世界が高天原>

<地獄の波動をもった世界が黄泉国>

ということが、つまり真相です。

手のひらを出して上に向けてみましょう。

いま手のひらの上に、天国もあり、地獄もある。
当然その中間もあり、天国:地獄=5:2くらいの微妙な比率の世界もある。
先ほどの電波の話と全く同じですね。

要は自分という受信機が、どの波動をキャッチするかによって
この世の中は天国とも地獄とも認識することが出来るわけです。

霊が見える人がいます。

「山手線に乗るのが怖い」と言っている中学生がいました。

「なんで怖いの?」

「…日暮里駅の線路に紫色の人が立っているから」

と。これ、私の生徒の実話なんですが、恐らく人身事故があったのでしょう。

霊が見えるというのは、「特殊な能力だ」とか「すごい」とかいうことではなく
<その霊のもつ波動と自分の波動が感応する>から見えてしまうだけです。

だから見えるとか見えない、ということにはあまり意味はない。

さて。
昨年の神社の勉強会で「神葬祭」を扱った時期がありましたが
仏教における「位牌」にあたる「霊璽(れいじ)」が重要だ、という話をしました。

波動が繊細な精密さを高めていけば、自然の摂理に近い神の世界。

波動がやや粗雑になってくると人格を帯びた神の世界。

更に波動を下げると亡くなった人たちの霊の世界。

人が亡くなることを「他界」といいますが
「異なる波動の世界」に行くから「他界」なのですね。

人間が視覚にもつ波動で感知出来なくなったから
亡くなった人を見ることが出来ないわけで

「おじいちゃんは三途の川を渡って今頃どこにいるのかしら」の
「三途の川」も「おじいちゃん」も見えないだけで

それは波動が異なるだけなのだから
実際には今、ここに居るということになります。

ただし、
そういった亡くなった人の波動と私たちの波動、神様の波動と私たちの波動。

この波動の差が大きく、なかなか簡単に近づくことが出来ないから

霊璽というアンテナを通して
両者の波動を紐づけしようとすることであったり

神社いうアンテナを通して
人を神に感応させようという仕組みになっているのです。

昨日のYahoo!ニュースのトピックに
「お墓参り代行業者」が盛況だという記事が出ていました。

まあ、コロナ禍で簡単に帰省できない事情もあるのですが
お墓の手入れや掃除を代行してくれるのは良いとして

お参りまで代行してもらうのは

(目に見えることしか信じない)物質的価値観に偏った
現代人の発想だなとつくづく思います。

お参りそのものは絶対に本人がするべきです。

絶対に本人がするというのは
そこに行かなければならないという意味ではありません。

長々と書いてきたように
この世の中は「波動」の世界なので

自分が供養したい人に波動(気分)を近づけることで
供養の土台を整えることができます。

具体的には
対象が「おじいちゃん」であれば

その「おじいちゃん」の昔の写真を引き出して眺めたり
「おじいちゃん」が好きだった食べ物を用意したり

対象に自分が心を寄せて
「おじいちゃん、元気にあの世で修行しているかなあ」と

「おじいちゃん」ワールドに自分を浸すことで
その供養の気持ちが十分、異なる波動世界にいる「おじいちゃん」に伝わります。

ちょうどお盆の時期なので、お盆の話題に寄せて書いてみました。

今日の「波動」というテーマは
神道のみならず、宗教的なこと、霊的なことを理解する上で

最重要と言ってよいほど重要なので、また改めて続きを書きます。

kininaru

お盆とは、餓鬼道に堕ちた死者を救済する仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と

日本固有の祖霊崇拝が融合した「神仏習合」の行事です。

今日、8月12日は
日航ジャンボ機墜落事故から35年目の日であり

8月15日は終戦記念日でもあります。

先週、スマートフォンの航空アプリに
墜落事故機の便名であった「JAL123便」が誤表示されるトラブルがあったそうですが

この時期にわざわざこういったトラブルが出てくるのは
「偶然のミス」とは見過ごせない、この事故は終わっていないのかもしれない…

と重苦しいものを感じました。

先人への感謝を忘れず、私たちが日々まなび
常にこころを成長させていくことが

唯一、先人への報いになるのではないでしょうか。