「波動のはなし~その1」
「あの人と波長が合う」
という言い方をすることがあります。
「あの人とは波長が合わないから疲れるのよねえ」
波長が合わないということは、言い換えると「リズム」「振動数」。
その人特有のリズム感に何となく違和感をおぼえるから
「波長が合わない」となるのです。
Aさんが「ガッタンガッタン」
Bさんが「ガタガタガタ」
Cさんが「ガタッガタッガタッ」
リズムが異なれば歯車も噛み合いません。
◆
最近はRadikoなどのスマートフォンアプリに移行してしまって
すっかりラジオ受信機でラジオを聞く機会も減りましたが
例えばNHKラジオ第一は594kHz、TBSラジオは954kHz
文化放送は1134kHz、ニッポン放送は1242kHz。
これらは周波数(振動数)の違いで
ラジオ受信機を954kHzにセットすればスピーカーからTBSラジオが聞こえ
1242kHzにセットすればニッポン放送が聞こえる、という具合です。
受信機を954kHzにセットしていれば
どう頑張っても1242kHzの放送を聞くことは出来ません。
でも、NHKラジオ第一も、文化放送も
みな同じ空間に電波が流れているのです。
AMラジオだけでなく、FMラジオも、TVも、携帯電話も、インターネットのWi-Fiも
膨大な種類の電波がこの空間上に存在しています。
要は自分がどの周波数を感知するかで
スピーカーから発生させる音を選ぶことが出来るのです。
◆
ここまでが「波動」を理解する前準備でした。
「波動」というのは
「波長」でも「周波数」でも「振動数」でも「リズム」でも言葉は何でも良いのですが
この「波動」を理解することで、神道への理解に一気に近づきます。
「波動のはなし~その2」
古事記には「高天原(たかまのはら)」「黄泉国(よみのくに)」
という言葉が出てきますが
高天原が天国だとすれば、黄泉国はいわば地獄です。
大祓詞に登場する「根の国底の国」とは「黄泉国」のことです。
天国と地獄はどこにあるのか。
もちろん、ロケットを飛ばして宇宙に上っても天国は見えて来ず
地中を深く掘っても地獄は出てきません。
<天国の波動をもった世界が高天原>
<地獄の波動をもった世界が黄泉国>
ということが、つまり真相です。
◆
手のひらを出して上に向けてみましょう。
いま手のひらの上に、天国もあり、地獄もある。
当然その中間もあり、天国:地獄=5:2くらいの微妙な比率の世界もある。
先ほどの電波の話と全く同じですね。
要は自分という受信機が、どの波動をキャッチするかによって
この世の中は天国とも地獄とも認識することが出来るわけです。
霊が見える人がいます。
「山手線に乗るのが怖い」と言っている中学生がいました。
「なんで怖いの?」
「…日暮里駅の線路に紫色の人が立っているから」
と。これ、私の生徒の実話なんですが、恐らく人身事故があったのでしょう。
霊が見えるというのは、「特殊な能力だ」とか「すごい」とかいうことではなく
<その霊のもつ波動と自分の波動が感応する>から見えてしまうだけです。
だから見えるとか見えない、ということにはあまり意味はない。
◆
さて。
昨年の神社の勉強会で「神葬祭」を扱った時期がありましたが
仏教における「位牌」にあたる「霊璽(れいじ)」が重要だ、という話をしました。
波動が繊細な精密さを高めていけば、自然の摂理に近い神の世界。
波動がやや粗雑になってくると人格を帯びた神の世界。
更に波動を下げると亡くなった人たちの霊の世界。
人が亡くなることを「他界」といいますが
「異なる波動の世界」に行くから「他界」なのですね。
人間が視覚にもつ波動で感知出来なくなったから
亡くなった人を見ることが出来ないわけで
「おじいちゃんは三途の川を渡って今頃どこにいるのかしら」の
「三途の川」も「おじいちゃん」も見えないだけで
それは波動が異なるだけなのだから
実際には今、ここに居るということになります。
ただし、
そういった亡くなった人の波動と私たちの波動、神様の波動と私たちの波動。
この波動の差が大きく、なかなか簡単に近づくことが出来ないから
霊璽というアンテナを通して
両者の波動を紐づけしようとすることであったり
神社いうアンテナを通して
人を神に感応させようという仕組みになっているのです。
◆
昨日のYahoo!ニュースのトピックに
「お墓参り代行業者」が盛況だという記事が出ていました。
まあ、コロナ禍で簡単に帰省できない事情もあるのですが
お墓の手入れや掃除を代行してくれるのは良いとして
お参りまで代行してもらうのは
(目に見えることしか信じない)物質的価値観に偏った
現代人の発想だなとつくづく思います。
お参りそのものは絶対に本人がするべきです。
絶対に本人がするというのは
そこに行かなければならないという意味ではありません。
長々と書いてきたように
この世の中は「波動」の世界なので
自分が供養したい人に波動(気分)を近づけることで
供養の土台を整えることができます。
具体的には
対象が「おじいちゃん」であれば
その「おじいちゃん」の昔の写真を引き出して眺めたり
「おじいちゃん」が好きだった食べ物を用意したり
対象に自分が心を寄せて
「おじいちゃん、元気にあの世で修行しているかなあ」と
「おじいちゃん」ワールドに自分を浸すことで
その供養の気持ちが十分、異なる波動世界にいる「おじいちゃん」に伝わります。
◆
ちょうどお盆の時期なので、お盆の話題に寄せて書いてみました。
今日の「波動」というテーマは
神道のみならず、宗教的なこと、霊的なことを理解する上で
最重要と言ってよいほど重要なので、また改めて続きを書きます。
kininaru
お盆とは、餓鬼道に堕ちた死者を救済する仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と
日本固有の祖霊崇拝が融合した「神仏習合」の行事です。
今日、8月12日は
日航ジャンボ機墜落事故から35年目の日であり
8月15日は終戦記念日でもあります。
先週、スマートフォンの航空アプリに
墜落事故機の便名であった「JAL123便」が誤表示されるトラブルがあったそうですが
この時期にわざわざこういったトラブルが出てくるのは
「偶然のミス」とは見過ごせない、この事故は終わっていないのかもしれない…
と重苦しいものを感じました。
先人への感謝を忘れず、私たちが日々まなび
常にこころを成長させていくことが
唯一、先人への報いになるのではないでしょうか。