「波動のはなし~その3」
波動のはなしの続きです。
ラジオの受信機で954kHzにセットするとTBSラジオが聞ける。
同じ受信機で1242kHzにセットするとニッポン放送が聞ける。
954kHzにセットしていれば
どう頑張ってもニッポン放送を聞くことはできない。
1242kHzにセットしていれば
どう頑張ってもTBSラジオを聞くことはできない。
そして954kHzにセットしている間
TBSラジオだけが聞けるからといって
ニッポン放送が存在していない訳ではない。
1242kHzにセットしている間
ニッポン放送だけが聞けるからといって
TBSラジオが存在していない訳ではない。
くどいようですが
「波動」の考え方で最も大切なことはこの点で
いま耳に聞こえていないからといって
存在していないとは必ずしも言えない。
いま目に見えないからといって
存在していないとは必ずしも言えない。
これが、神や仏や霊というものを考えるにあたって
前提となる大事な理屈なのです。
波動が異なれば、聞こえない。見えない。
ここが最も大切です。
◆
「あいつが気に入らないんだよな」
「あいつが許せないんだよな」
その「あいつ」が気になるのは
「あいつ」と通じる波動を自分が持っているから気になるのであって
「あいつ」に通じる波動を自分が持ち合わせていなければ
視覚にも聴覚にも入ってこず、気にもならなくなる。
これが「波動」です。
◆
目に見えないからといって
存在していないとは必ずしも言えない。
というのは「宇宙人は存在するのか?」というテーマにもつながります。
人間にとって「見える」ということは
視覚で捉えられる波動の領域にあるということで
「見えない」ということは
視覚で捉えられる波動の領域には無いということ。
とすれば、宇宙人は見えないから存在しない訳ではなく
異なる波動の領域に「いない」なんて言えるわけがない、となるのです。
なので、前回の繰り返しになりますが
「宇宙人がいるとか、いないとか」
「神が見えるとか、見えないとか」
「霊が見えるとか、見えないとか」
そういった「見える」「見えない」の話題には
何ら意味はないということになるのです。
そういう次元のことを「サイキック」と言いますが
「サイキック」な次元の話題をウロウロするのは
時間の無駄だと私は思っています。
「波動のはなし~その4」
動物の絶滅についても
物理的に絶滅したからといって
もしかすると異なる波動の世界に移行しただけなのかもしれない
という見方も、ひとつ大切です。
そんな「アホかいな」
と非科学的に聞こえる話かもしれませんが。。。
何度も言いますが
「見える」とか「見えない」ということには何の意味もない。
ちょっとした神社マニアのような方が
神社の境内で写真を撮影して
光のかたまり「オーブ(玉響=たまゆら)が写った!」とか
喜んでいる人がいますがこれも何の意味もなく
そういった目に見えるとか見えないとか
「サイキック」の現象に関心をもったり
その辺の話題に気を取られてウロウロしてはいけない。
<正しい神に奇異はない>ということばを噛みしめなければなりません。
◆
かなり話題がズレましたが
神社でお参りする時に手をパンパンと叩く「拍手(かしわで)」。
お寺だったら「ナームー」としばらく手を合わせますが
神社の拍手は<瞬間>です。
ここ、大切です。
神社の拍手は<瞬間>です。
手を叩いた<瞬間>に
自分固有の波動がその場に拡散します。
神社は神域で神気に満ちているわけですから
自分の波動と神域の波動が混ざりあう。
これが「拍手(かしわで)」の目的です。
なので、
拍手を叩いたあとに、しばらく合掌して
ジッと神前で留まっている人を多く見かけますが
手を叩く<瞬間>で目的は達してしまうため
拍手のあとに「ナームー」とじっと手を合わせる必要は無いのです。
神社の参拝は「二礼二拍手一拝(にれい・にはくしゅ・いっぱい)」
といいますが、極めてあっさり簡潔です。
kininaru
7/5と7/19の「こうとくにんげん塾」で
本間真二郎医師の記事を取り上げましたが、Facebookのリンクを紹介します。
■8/21記事
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/2783858135272521
■まとめ
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/2728645230793812
「爆笑問題の田中さんが陽性だった!」「感染した!」
とかテレビばかり見ていると糞味噌一緒になって
不安感をただ煽られている気持ちになるのですが
そもそも「検査陽性」と「感染」は全く異なる状態であり
そういったことも本間先生の記事から学べます。
長いですが、根気強く目を通してみて下さい。