「手水の意味」
大きい神社に行くと
真っ先に手水舎(てみずや)で手や口をすすぎますね。
本来は清らかな水が流れる川で手をすすぎたいが
近くに川が無い。
ということで
井戸や水道を用いて、清らかな水を再現したのが手水舎です。
ここで手をすすぐのは
「手を洗う」わけではないのです。
「手を洗う」は
手に付いた汚れを物理的に洗い流す意味になります。
物理的に洗い流してもよいのですが
最も重要な手水の意味は<清らかな水の波動をいただくこと>に尽きます。
結局今日も「波動」の話です。
清らかな水に触れることで
その清らかな波動に自分が感応し、自分自身を清らかな波動にすること。
ですので
手をジャブジャブしっかり洗ったり、ブクブク口の中をすすがなくても
「ハンカチを忘れちゃったわ」
「手を濡らしたくないんだけど」
という時でも
一瞬その水に触れるだけ(手先だけ、口先だけ)で充分です。
<水の波動に感応する>ことを意識することが大事です。
「掃除の意味」
新しい職場や、自分にとって上手くいって欲しいと願う場所
そういった所には
自分の手で掃除をすることが大切です。
スピリチュアルでは「オーラマーキング」とも言いますが
神道的にはこれも「波動」です。
例えば、今日の会議がうまくいってほしい。
そんな時には、雑巾でも使い捨てのおしぼりでも良いので
自分の手で机を拭きます。ビニール手袋をしても問題ありません。
<自分の手>を動かすことがポイントですので
そうすることで<自分の波動>を机に付着させます。
その波動に、着席した出席者が感応するわけですから
自分の分身を相手に付着させるような効果になる訳です。
もちろん
資料作りやプレゼンテーションなど自分が出来る努力も必要ですが。
動物も、自分のニオイをつけるために
新しい場所でおしっこをしたりするそうですが
本能的に動物は「波動」を理解しているのかもしれません。
◆
孫子の兵法で「戦わずして勝つ」という言葉があります。
これは戦わなくても勝つということではなく
<戦ったら必ず勝つように準備をする、そうすれば戦っても必ず勝つ>という意味です。
自分の波動を付着させる行為は
ひとつの空間を<自分が掌握する>前準備になります。
いつも過ごす部屋や着慣れた衣服が落ち着くのは
自分が蓄積した波動に触れるせいもあるかもしれません。
掃除をする余裕がなければ
会議室の机や椅子などをそっとタッチしていくだけでも構いません。
心臓バクバクの緊張度も下がるはずです。
kininaru「宗教が捨てられようとしている」
宗教学者・島田裕巳さんによる記事。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75370?imp=0
「あそこに行けばいい話が聞けるのよ」
「悩みを聞いてもらえるのよ」
というのは宗教団体の話。
「本物の商品だから一度試してみて」
「広告宣伝費を掛けない分、知り合いに教えてあげて」
はネットワークビジネスの話。
どちらも、インターネットの普及に伴い
表も裏も筒抜けになってしまって
これからの時代、かなり厳しいです。
<小手先の方便で人を丸め込む時代は終わった>のでしょうね。