令和2年(2020)10月14日【第9号】

「中今」

神道の基本的な考え方のひとつに
「中今(なかいま)」というものがあります。

過去の集大成が「今」であり
未来の種まきをしているのが「今」。

だから今、目の前の
ヒト・モノ・コトに向かって全力投球する。

これが「中今」です。

予備校講師の林修先生の
「今でしょ」が流行語になりましたが

神道的にいうなら

「中今でしょ」

となりますね(笑)

ひとつの取り組みに
知恵や力を振りしぼって精一杯取り組んでいると
経験だけでなく、「勘」のようなものが養われます。

こうしたら、上手くいく
こうしたら、駄目になる

という風に

成功パターン、失敗パターンの
見通しも何となくついてきます。

これを「直感」と言いますが
その直感が当たりやすい状態になってくる。

直感が当たるということは
自分が地球のリズムと波動が近くなっている

ということであり、

「今でしょ(中今でしょ)」を追求する生活は
つまり「神ながら」の生活そのものだと言えるわけです。

困難のなかにあって困難をすり抜けていくような
偶然のようにうまくタイミングをつかんでいくような

それが別の言い方では
「神さまのおかげ」と言うのですが

「神さまのおかげ」は
神さまに祈るから得られるのではなくて

自分が今、目の前のヒト・モノ・コトに
全力投球した結果だ、と。

「ギリギリの崖っぷちを落ちそうで落ちない道が神ながらの道」

と前回書きましたが
それは、そういうことだろうと思います。

「二宮尊徳と中今」

(抜粋ここから)
尊徳は夏、ナスを口にしてその年の不作を予言しました。

秋ナスのような味が強くしたので
「太陽がすでにその年の光を使いつくした」しるしであると告げました。

尊徳はただちに、その年の米の不足を補うために
一軒に一反の割合でヒエをまくように村人に命じました。

次の年、近国はことごとく飢饉に見舞われたにもかかわらず
尊徳配下の三村では、一軒なりとも食糧の不足で苦しむところは出ませんでした。

「誠実の人は、前もってことを知ることができる」とあるように
わが指導者は予言者でもあったのです。

『代表的日本人』(内村鑑三・著、岩波文庫)
(抜粋ここまで)

二宮尊徳は「勤勉」であったと言われますが

◎薪を運びながら本を読んだり(時間の立体的活用)
◎荒地を菜種油のとれる畑に変える(無から有を生む)

常に頭脳フル回転で、合理的な人間生活を追求していたのですね。

それってつまり「中今」の追求です。

尊徳がナスを口にしただけで飢饉の発生を言い当てたのは

尊徳が霊能者でも神がかりだった訳でもなく
「直感力」を行使できる状態になっていたということなのです。

不作の波動を直感により検知して
ギリギリの崖っぷちを渡り抜けた。

まさに「神ながらの道」そのものではないでしょうか。

kininaru「お神酒」

H.28「花垣」にごり(福井)
H.29「雪中梅」本醸造(新潟)
H.30「上善如水」濃いめ(新潟)
H.31「花の香」701(熊本)
R.01「菊水」大吟醸(新潟)

これは近年の正月三が日のお神酒リストです。

日本酒に馴染みのない女性が口に含んで
「美味しい!」と感じていただける甘めのお酒を中心に選んでいます。

現在、月次祭では
「生原酒 ふなぐち菊水」を使用していますが
酒好きには嬉しいものの、ちょっとアルコールが強いですね。

年明けあたりから
低アルコールに切り替えようと思案しています。

候補のひとつが「双子座のスピカ」(滋賀・福井弥平商店)
https://www.haginotsuyu.co.jp/archives/1554

なかなかお洒落です。
純米酒なのに、淡いワインの味わい。

実業家の斎藤一人さんは、お神酒(おみき)について
「うれしき・たのしき・ありがたき」の3つの「き」だと言っています。

時代の要請もあり
神社でお酒を提供することも厳しい時代になってきましたが

何らかの形でお神酒の直会(なおらい)を続けたいと思っています。