「神道の種類」
『神道』は
仏教・キリスト教・イスラム教などと区別される
日本独自の伝統宗教ですが
一般的に『神道』といえば
伊勢神宮をはじめ、全国津々浦々にある神社で
行われている「神社神道」を指します。
ところが
「神社神道」は『神道』のなかの
ひとつのカテゴリに過ぎず
『神道』には
たくさんの種類があります。
◎皇室神道
皇居の宮中三殿を中心とする神道
◎神社神道
神社を中心に祭祀儀礼を中心とする神道
◎民俗神道
道祖神・田の神・山の神・竈神など。修験道・密教・仏教と習合している場合も
◎古神道
縄文時代に端を発する、神社神道以前の神道
◎国家神道
明治維新から第二次世界大戦まで、国家の支援のもとに行われた神道
◎三輪神道
奈良の三輪山を中心に三輪の神と伊勢の神に大日如来を含めた神道
◎儒家神道(じゅかしんとう)
◎伯家神道(はっけしんとう)
◎教派神道(神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験にもとづく神道
などなど。(※一部Wikipediaを参照しました)
細かすぎて眠くなってきますね(笑)
「神道のすそ野は広大」
先ほどの最後の項目の
「教派神道」を更に分類しますと
「神道十三派」といって
◎黒住教(黒住宗忠)
◎禊教(井上正鐵)
◎天理教(中山みき)
◎金光教
◎神道修成派
◎神理教
◎出雲大社教
◎扶桑教
◎実行教
◎神道大成教
◎神習教(芳村正秉)
◎御嶽教
◎神道大教
に分かれます。
奈良の天理教、岡山の金光教は有名ですね。
ニッポン放送では
現在でも日曜の早朝にこっそり
金光教のラジオ番組を放送しています。
多少神道に詳しい方なら
黒住教もご存知でしょう。
世田谷の桜新町駅近くに
桜神宮という
一見、神社神道っぽい神社がありますが
こちらは「神習教」だったりします。
http://www.sakura.jingu.net
他に
京都綾部の「大本」も
スピリチュアルに関心のある方ならご存知でしょう。
こちらは神道十三派ではありませんが
教派神道にカテゴライズされます。
『霊界物語』の出口王仁三郎は
その「大本」の教祖のひとりです。
もっと書きますと
この「大本」からの分派がこれまた多く
神道天行居、生長の家、世界救世教、三五教は
大本から独立しています。
当神社の勉強会で
岡田茂吉思想を読む機会がありますが
岡田は大本の元幹部で
後に熱海にある世界救世教の教祖になります。
世界救世教からは
崇教真光、世界真光文明教団、神慈秀明会と
更に分派していきます。
滋賀県にMIHOミュージアムという
哲学者の梅原猛が
初代館長を務めた美術館がありますが
こちらは神慈秀明会が設立し
「世界救世教秀明教会」から独立した
小山美秀子(みほこ)教祖の名に由来します。
生長の家や世界救世教以降になると
「神道系新宗教」という分類になります。
いわゆる「宗教」のニオイが漂ってくる訳ですね。
◆
話を一段階戻して
教派神道の系譜を持つのは宗教だけでなく
道徳科学「モラロジー」の提唱者で
柏にある麗澤大学の創始者でもある
廣池千九郎は天理教と関係が深いです。
同じキャンパス内にある麗澤中学・高校といえば
準難関の人気校です。
他に
企業や店舗の朝礼で使用する
『職場の教養』誌を発行したり
モーニングセミナーなどの企業経営者支援を行う全国の「倫理法人会」。
倫理法人会を立ち上げた丸山敏雄は
「ひとのみち教団」の出身です。
「ひとのみち教団」は
現在のPL教団(パーフェクト・リバティ)ですが
かつてのPL学園野球部は清原和博や桑田真澄といった
有名選手を輩出していることでも有名ですね。
「ひとのみち教団」は
神道十三派の「御嶽教」を経て
「扶桑教ひとのみち教団」を名乗っていた時期もありました。
まあまあ
このように「神道」のすそ野は、もの凄く広いのです。
「神社神道の今」
これまで見てきたように
神道のすそ野は広く、仏教と習合したり
どこまでが神道で、どこからが仏教なのか
境界線が見えないものも多くあります。
夏の「お盆」はその典型で
仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と神道の祖霊崇拝が習合したものであり
もはや境界線を引くことに意味はないですよね。
◆
さて、
明治時代に入ると新政府の方針で
「祭教分離」の措置がとられ
神道は
祭祀を中心とする「神社神道」と
教化を中心とする「教派神道」に
大きく分かれました。
全国の津々浦々にある神社で
積極的な「教え」の要素が見られないのはそのためです。
近年では「ペット祈願」やお守りの通信販売といった
<商売>の方向に突き進んでいる神社も多いですが
今日これまでの一連の話を読んでいただくと
何となくその理由を
分かっていただけるかと思います。
kininaru「五穀さまについて」
鴻徳神社は
「神社神道による単立の神社」ですが
月次祭の勉強会や、このお知らせメールは
「教派神道」の側面も持ちます。
そもそも当神社のご祭神である「五穀大明神(五穀さま)」が
鎌ヶ谷に鎮座する前、東京の赤羽で祀られていた時には
神仏習合の形で毎月15日にお祭りがあったと聞いています。
お祀りされていた方による霊感を用いた相談も行われていたとか。
今でこそ
鎌ヶ谷でひっそりすっきり神社神道っぽく
まとまっている感じがありますが
もともとは民俗神道的な側面も
「五穀さま」には多々あったようです。